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歴史

kimono

明治以降(1868~1912)、廃刀令により最大の用途であった刀関係の組物の需要がなくなりましたが、職人たちは、その技術を帯締めや羽織紐に生かすことで時代の波を乗り越えました。帯締めはそれまで丸ぐけ(真綿を芯に絹糸を巻いたひも)や平ぐけ(細い帯)が一般的でしたが、日清戦争(1884年)の頃、房の付いた組紐の帯締めが登場し人気を博しました。明治の後期には組紐の帯締めの需要がさらに増し一般化していきます。

第二次世界大戦後、高度成長期を迎えると和装から洋装への転換が進み、それに伴い和装用品としての組紐の需要は低下しました。しかしながら、組紐技術を和装用品に限ることなく広く役立てていこうとする動きが芽生え、現在では、和装用品はもとより、異なる様々な分野、工業、スポーツや農業等の産業分野でも、その組紐技術が使われています。
組紐総覧1「丸台の組紐120」多田牧子著

2016-10-15
tressage

組紐は日本の伝統工芸です
組紐とは、3本(束)以上の糸または糸束が、すでに組み上がっている方向とは逆の方向へ斜めに交差して作る紐であり、その技術です。

日本では、その起源は縄文時代(紀元前10000年から3000年頃)と考えられており、この時代の土器に、組紐の圧痕文を見ることができます。その後、実用的なものから装飾的なものまで、各時代に応じて発展してきました。

飛鳥から奈良時代(6-8世紀)、仏教の伝来とともに仏教で比較的重要な役割を有する紐も付随して入ってきたと考えられています。また、中国を通じて大陸文化を取り入れました。そのため、この時代の組紐は高度な技術と大陸的なくっきりとした色彩を持ち、仏教で用いる道具や、衣服の帯などに使用されていました。.
組紐総覧1「丸台の組紐120」多田牧子著

2016-09-27
samourai

平安・鎌倉時代(794-1333)は、大陸文化を吸収し日本独自の文化を発展させた時代です。組紐も同様、純粋に日本的なものが組まれるようになりました。また、貴族文化から武家の登場へと進む中、組紐は、神仏に関わるもの(経巻のひもや神輿のひも)、公家の平緒(太刀を佩く幅約10㎝、長さ約250cmの帯)、そして大鎧などの武家の道具の装飾に広く使われていました。
室町時代(1336~1573)は茶道が盛んになった時代です。茶道の「わび・さび」の思想に従い、組紐は渋い色で、より素朴簡潔な組み方へと変化したと考えられます。また、華麗な大鎧から軽い鎧へと、装飾性よりも実用性の高いものへの需要への高まりが、組紐もシンプルな組み方になった要因の一つと考えられています。この時代は、組紐の需要が貴族・武士階級から庶民へと広がり、人々の生活により密着してきた時代といえます。
安土桃山時代(1568-1600)には、新興大名や都市の豪商を担い手として豪華絢爛でたくましく、しかも庶民的な文化が栄えました。組紐でもこの気運は高まり、実用的なものから遊び心のあるものへと変化していきました。そして、鎧師の兼業が多かった組紐作りが独立して、専門の組紐師が増えてきたと考えられます。この時代、「名護屋帯」という色糸で組んだ5m位の丸紐に組んだ帯が誕生し、江戸時代初期まで流行、18世紀半ばまで使われました。
江戸時代(1616~1867)、江戸には50万人の武士がいたと言われおり、その紐の消費量も莫大だったと考えられています。武士は、鎧、脇差の下緒、柄巻などに、町人は、組帯、鏡台やたんすなどの家具の飾り紐、種々の装飾紐として組紐を多用しました。

 

組紐総覧1「丸台の組紐120」多田牧子著

2016-08-20