武士の登場とくみひも

2016-08-20
samourai

平安・鎌倉時代(794-1333)は、大陸文化を吸収し日本独自の文化を発展させた時代です。組紐も同様、純粋に日本的なものが組まれるようになりました。また、貴族文化から武家の登場へと進む中、組紐は、神仏に関わるもの(経巻のひもや神輿のひも)、公家の平緒(太刀を佩く幅約10㎝、長さ約250cmの帯)、そして大鎧などの武家の道具の装飾に広く使われていました。
室町時代(1336~1573)は茶道が盛んになった時代です。茶道の「わび・さび」の思想に従い、組紐は渋い色で、より素朴簡潔な組み方へと変化したと考えられます。また、華麗な大鎧から軽い鎧へと、装飾性よりも実用性の高いものへの需要への高まりが、組紐もシンプルな組み方になった要因の一つと考えられています。この時代は、組紐の需要が貴族・武士階級から庶民へと広がり、人々の生活により密着してきた時代といえます。
安土桃山時代(1568-1600)には、新興大名や都市の豪商を担い手として豪華絢爛でたくましく、しかも庶民的な文化が栄えました。組紐でもこの気運は高まり、実用的なものから遊び心のあるものへと変化していきました。そして、鎧師の兼業が多かった組紐作りが独立して、専門の組紐師が増えてきたと考えられます。この時代、「名護屋帯」という色糸で組んだ5m位の丸紐に組んだ帯が誕生し、江戸時代初期まで流行、18世紀半ばまで使われました。
江戸時代(1616~1867)、江戸には50万人の武士がいたと言われおり、その紐の消費量も莫大だったと考えられています。武士は、鎧、脇差の下緒、柄巻などに、町人は、組帯、鏡台やたんすなどの家具の飾り紐、種々の装飾紐として組紐を多用しました。

 

組紐総覧1「丸台の組紐120」多田牧子著

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